願う文字、鎮める文字、祈る文字。

日本には微妙に変化する四季があり、その季節感や雰囲気、印象を伝えるために、いろいろな言葉を生み出し、使いわけてきました。たとえば飛騨の冬の朝、そのときの程度を微妙にあらわす「しみたなぁ」という言葉が交わされます。ささいな物でも頂戴したときの「うたていなぁ」。ひさしぶりに会ったときの「まめかなか」と飛騨ことば一つ取ってもそのなかに思いやりや感謝の気持ちを見ることでできます。

 つまり言葉の種類や数が多ければ多いほど、人の心や自然の細やかな変化や違いを感じ取ることができ、そのときどきの気持ちを伝えることができるのだと思います。

言葉や文字に秘める願い

 考えてみれば日常のあらゆることは「言葉」に置き換えて認識しているのではないでしょうか。幼いときのあの思い出だってじつは言葉によってイメージしている、と言えるのです。

 昔の人は大いなる力が潜んでいる言葉を「言霊」と呼び、霊が宿ると信じてきて大切に扱っていたのですが、りんごの木に感謝の思いを伝える木村秋則さんは、現代においても「言霊(ことだま)」が万物に伝わることを証明してくれました。

 さて、みなさんは今の時代、言葉はりんごのように豊かに色づいていると思われますか。私には言葉が色あせて見えます。言葉がうつろに漂う現在、すたれていくのが先だったのか、それとも人を思いやるような気持ちや自然の美しさが失われていくことで言葉も忘れていくのか。「言霊」に思いを寄せる人は本当に少なくなりました。

 ところで遥か昔に描かれたスペインの洞窟の絵が、人間の表現のはじまりとされているのですが、じつは文字は絵よりも具体的に伝達する情報量が圧倒的に多く、あらゆる宗教は経典によって伝承されてきたことを考えれば、文字の力はあきらかです。

 文字のルーツといえばエジプトや中国ですが、雲南省のナシ族たちが今でも使っているトンパ文字から文字の原型を見ることができます。トンパ文字は唯一現代に残る象形文字で、今でも使われています。このように意味をもった絵はしだいに漢字へと変化し、それが日本に伝わったとされています。

 では伝わる前はどうだったのか?歴史上では日本には文字はなかったとされているのですが、世界で最初に生まれた日本の「神代文字」が存在します。日本は神国とよばれ神様が造られた国であるということはうっすらと知っていても、「神代文字」という存在を知っている方はごく僅かです。

 あかさたなの五十音からなる神代文字には色々な意図が隠されており、文字の一つひとつが宇宙を形成している元素記号とつながっていることや、文字から過去や現在、未来を知る手がかりを得られることなどです。口で発声をしながら神代文字を手本にして書くことで、気持ちだけでなく心の浄化作用が生まれてきます。

 どれだけ折手本を見て書いても、文字の中心のバランスをとるのが苦手な方もいます。お話をしていくなかで次第に文字にもバランスが戻りはじめ、それに合わせるように人間関係もうまくいくようになったそうです。

 神代文字を書くことで様々な因果関係が見えてくる。言葉や文字は神が創造したもの。よりよい生き方を願って生み出されたものですから、大切にしてほしいものです。

 あらゆる情報が氾濫する今、文字も手書きから活字へと変わっていきます。時折、ハガキや芳名録などで美しい文字を見るとハッとしませんか。誰もが「こんな生きた美しい字が書けたら」と願う一方で、習い事へのきっかけをつかぬまま、あれよあれよというまに年を重ねていきます。

 書の霊智塾では、実用文字や師範になる指導も受けることができます。ぜひ文字とのいい関係づくりをここから始めてください。

 筆は持ち主の思うように動いてはくれません。悩んでいるときや心配ごとがあるときは、心の状態が文字に表れてしまいます。

 ぜひ静寂な空間の中で自分の心をみつめるひとときを、作ってみてはいかがでしょうか?

人と言葉。人と文字。人と真実は本来繋がっている。


書の霊智(ミチ)塾

主宰 安藤 妍雪