稗田阿礼(647〜714年)
右:アヒル(朝・昼・夜)文字
「なつきのたのいなからに いなからにはひもとろふとろろつ
ら あさしぬはらこしなつむそらはゆかすあしよゆくな」
(なづきの田の稲稈に 稲稈に這いもとろふ葛 浅篠原腰泥む
空は行かず 足よ行くな)
左:アヒル草文字
「やまとほこあまつみしろとよくになるひめみこと」
(大和穂子天津御代豊国成毘売天皇)
「つちのへさる」
(戌申)和銅元刀稗田阿礼花押
この歌は、舎人親王の書いた歌の続きの部分にあたる。
日本武尊の訃報に、后や御子たちは能褒野に駆けつけた。
しかし彼らが到着したときには、尊の亡骸はすでに
田んぼの中の墓に埋められていた。
悲嘆の涙と共に、后は稲がらに足をとられつつ墓の周囲を
這いまわるようにして口ずさんだのがこの歌である。
この時日本武尊の御魂は、白鳥と化して墓から飛び去った。
これを見た后たちは空は飛び得ずと
泣きながらそのあとを追うのであった。
※ この人は、古事記の製作者故に
古事記以前に和字がなかった説は誤の証明になる。
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